共生農場
禁止や隠されている事で、奪われたり支配されず、自由や自尊心を保つ
昔は普通にあったものが、現在の日本で禁止されたり隠されているものに、大麻や裸がある。
大麻は世界的には徐々に解禁される方向である。
日本はアメリカに戦争で負けて占領されたことで大麻を禁止された。
今でも神事用の大麻は栽培を許可されている。
裸は、明治以降、特に敗戦後は明らかに隠すようになっている。
知人のドイツ人女性によると、ドイツは江戸時代以前の日本と同じように、
女性が胸を出すことに今でもあまり抵抗はない。
胸を隠すことはカトリックの教えとのこと。
確かに欧米文化圏の女性は、見せることに抵抗がない。
ジムに来ているアメリカ女性はトレーニングウエアの上から乳首の形がわかる状態でも平氣である。
会社や夫婦間でも何かを禁止するルールをつくることで、
相手を従える、支配することができるのだ。
結婚というものは独占性交契約ということができる。
不貞行為は法律上よろしくないこととされ離婚の原因ともなる。
他の異性と性交はダメ、と言われると逆にそこに意識が向き、
したくなる人も多いのではないか。
私と性交を深め合ってください、という方がお互いに意識が向きやすい。
否定形で言われると、まずは逆を考えてしまう。
他の異性としないで、という否定形を言われると、
まず、他の異性とすることを想像する。
そして、それはダメなんだと思うのである。
つまり、否定形で言われたことは、逆のことを頭の中で考えてしまうのである。
結果、逆の行動をとりやすくなるのだ。
得たい結果を言われると、脳は余計なことを考えないで済む。
私と深め合って、ということであれば、それしか考えないでいいのである。
会社で副業を禁止するから本業に力を発揮できるのかと言えば必ずしもそうではない。
優秀な社員ほど、幅広く活躍するということで日本IBMは2001年から副業を認めている。
性交、この男女の営みが無ければ人間は絶えているのである。
それほどまでに神聖で大切な行為を卑猥ということで隠すのは人間が自らをと貶めているように感じる。
その行為を神聖とみるか、卑猥とみるか、それは見る人の心が決めているのである。
人間の身体は美しい。それを卑猥ということで隠すのは、
人間の美しさを隠すようなものではないだろうか。
確かにネットに氾濫している映像は卑猥なものが多いのだろう。
しかし、男女の美しさを表現している部分は、
認めてオープンにしていいのではないだろうか。
仕事でもやり方の細かいところまで細かく指示され続けると嫌になる。
得たい結果を明確にし、手段は自由である方が、個々人の力が発揮できるのである。
力でねじ伏せるのではなく、人間個々を尊重し、
その力を発揮できるようにすると、美しく楽しい世界となるのである。
人間の営み、愛情の深さ、命の尊さが感じられるのであれば、
聖なる男女の営みや男女の裸体の表現に関する表現は自由であることが望ましいのである。
男女の営みの目的が卑猥であるとでもいうのだろうか。
その目的、得たい結果は、最高のコミュニケーション、
次世代へつなぐ愛のエネルギー交換ではなかろうか。
目的に向かう仕事も、その得体結果を明確にして、
手段には自由裁量があると発展していくのである。
その場合、SCSEなどの行動指針は必要ではある。
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